| ロシアと日本の架け橋として働きたい |
| 在カザフスタン日本国大使館元派遣員 岡本 貴充 |
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| ロシア語との出会い |
| 私は1993年に広島国際学院高等学校を卒業後、九州産業大学国際経営学科に入学した。入学直後の4月に博多港でカムチャッカ半島から来たロシア人達と偶然に出会い、彼らの話すロシア語の響きに感激してロシア語を勉強するようになった。当時、博多港にはカムチャッカからの冷凍船やウラジオストックからの観光船がほぼ毎日停泊し、港はロシア人で溢れかえっていた。大学の講義のない時間は、いつもペンと手帳と辞典を携帯して自転車で博多港に行き、夜中までロシア人と話をしたり、通訳をしたりした。会話の中で、新しく出会った単語などはすべてノートに書いてもらうなどした。港では、親切なロシア人から生きたロシア語を毎日学び、家ではラジオ講座からロシア語の文法を学ぶというロシア語漬けの生活が続いた。 |
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| もちろん勉強し始めの頃は、ロシア語自体理解することができなかった。しかし、ロシア人の人柄と、彼らと会って話すことが何よりも好きだった。大学の寮から博多港までの往復10kmの道のりを毎日自転車で通うことなど苦にはならなかった。私のロシア語の会話力も飛躍的に伸び、彼らの話すロシア語が理解できるようになり、大きな喜びを感じた。9ケ月後には、福岡の貿易商の通訳として一週間、ウラジオストックでの海外生活を経験することになった。貿易商のビジネスの通訳をするうちに、ロシア留学を具体的に考え始めた。そうして大学2年次終了後、1年間休学しウラジオストック極東大学ヘロシア留学をした。留学中は、少しでも多くのロシア語書籍を読むことに専念した。留学後、外務省在外公館派遣員選抜試験をロシア語で受験し合格する。97年3月からの2年間、在カザフスタン日本国大使館で大使館員として勤務をすることになった。こうしたロシアでの3年間の生活は、語学力を高めたことはもちろんであるが、現地の人やいろいろな国の人たちとの出会いによって多くのことを学び、自分を磨くという貴重な体験であった。 |
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| カザフスタンで感じたこと |
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カザフスタン大使館での私の仕事は、大使館・大使公邸を維持運営していくこと、現地職員管理の補助的事務、ロシア語の通訳などであった。さらには、日本から来る大使館の来客をサポート(便宜供与)するという仕事もあった。日本国政府を代表して直接カザフスタン政府と交渉するということはなかったが、大型ミッション(小渕総理・経団連会長一行)が、カザフスタン訪問されたときは、宿泊ホテルの確保、レセプション会場の手配、配車手配などミッションで代表として携わった思い出の仕事であった。
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現地の人達と一緒に仕事をすることが多く、その中で次のようなことを感じた。
第1点は、相手の立場に立った思いやりのある話し方が大切だということである。日本語でも同じことが言えるが、丁寧に思いやりをもって話すと、その言葉にはその人の人間性があらわれ相手に理解される。話す人間の話し方次第で相手は好意的にも非好意的にも理解する。このちょっとした努力で人間関係が良い方に築かれていくことを知った。
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| 第2点目は、ロシアの駐在ではあるが、英語力が必要だということである。仕事の関係でドイツに出張する機会が多かったが、カザフスタンを出国した瞬間から情報はすべて英語であり、世界の共通語は英語であることを痛感させられた。いろいろな情報を得るにしても英語での情報量は日本語のそれとは比較にならない。情報面(新聞)を例にとっても、日本で報道されることと、ロシアで報道されることは、いつも同じとは限らない。例えば、同じ北方領土問題にしても、日本人・ロシア人・アメリカ人の見解はそれぞれ異なる。そして、自分の見解を持つことから始まり、相手の立場を考慮し、相手の意見を聞き、広い見地から考えることは非常に大切である。主な国際問題などは、すべて英語でなされている。 |
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| ロシアとのかけ橋として |
大学を卒業後、さらにロシア文学を研究するため、早稲田大学文学部ロシア文学科に学士入学し、現在に至っている。
これからは、ロシア語をさらに修得すると共に、英語力を身につけ、将来は日本とロシアの架けけ橋として活躍できることを念じている。
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